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2007年03月04日

休まない翼/ZABADAK

初めて飛んだ あの空へと
誘う季節が また巡って
海の上駆ける 休まぬ翼
ちりばめられた星座 導べに
かりたてる 見知らぬ国から
届いた風を 羽に受け

どんな遠くても 迷わない強さ
私もいつかは 胸に抱きしめたい
どんな遠くても 風の着く場所へ
ただ旅すること 全てはその中に

黄昏の頃 哀しそうに
なく声がして 空を見上げる

時を告げ 渡る鳥の羽ばたきの中
永遠 見つけても

生まれた命も 変わらない強さ
私にもいつか 旅を終える日まで
誰にも知られず 消えてゆく強さ
ただ旅すること 全てはその中に
翼がJ1という大空へ戻ってきた。
翼は向かい風を受けて、更に高く高く舞い上がる。
日本一のチームを目指すという夢に向けて、サポーターは決して迷わない。


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1993年、Jリーグ開幕と共に横浜にJリーグクラブが2つ登場。横浜マリノスと横浜フリューゲルスである。
この年の天皇杯予選ではドイツ語で「翼」という意味の名前がついたフリューゲルスが決勝まで勝ち残り、1994年1月1日にJリーグ覇者の鹿島アントラーズと対戦。
前後半終了時点で2−2の同点だったが、延長戦で怒涛のゴールラッシュ。延長戦の30分だけで渡辺一平の弾丸ヘッドを含む4得点でフリューゲルスが栄冠を掴む。
その勢いのままに1995年アジアカップウイナーズカップ優勝。1995年アジアスーパーカップ優勝。
1997年Jリーグファーストステージ準優勝、1998年第77回天皇杯準優勝とマリノスの影のような存在のチームながらも成績はマリノスを上回る事も多々あった。
そしてフリューゲルスが次に栄冠を掴むのは、1999年1月1日。
日本のバブル経済が破綻し企業が次々に倒産していく影響をJリーグも受けていた。その影響をモロに受けたのが横浜フリューゲルス。1998年10月29日、親会社であるANAと佐藤工業が横浜フリューゲルスを横浜マリノスに吸収合併させると発表。
当時の監督であったゲルト・エンゲルスは「誰でもいい、助けてくれ」とスタジアムでPR。
このような状況でチームはとても練習に集中できる状態ではなかった。そして天皇杯。Jリーグが終了し、トーナメント形式の天皇杯で敗北した瞬間、チームが消滅するという状況でチームは勝ち続け、ついに決勝へ。
対戦相手はこの数年前にチーム消滅の危機に陥った事もある清水エスパルス。
試合はフリューゲルスの久保山が先制点をあげるも同点に追いつかれる。しかし後半にフリューゲルスの吉田孝行がDFを背負った状態から反転して放ったシュートが決まり2−1で勝利。
第73回天皇杯の優勝チームとして名前を残し、そして勝利した瞬間にこのチームが消滅した。
テレビではアナウンサーが「私たちは忘れません。横浜フリューゲルスという素晴らしいチームがあったことを」「東京・国立競技場、空は今も横浜フリューゲルスのブルーに染まっています」とアナウンス。

フリューゲルスの消滅に反対してサポーターが作り上げたチーム、それが横浜FCである。


posted by かずま at 13:32| Comment(0) | TrackBack(0) | music life | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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