かずまのサイト「ふりえ永遠に」に戻るにはこちら

2004年08月26日

お経について考える2

昔の人々の心の支えとなっているのが御仏の教えだったわけです。
現代社会でも、何を支えにして良いか分からない人は宗教を心の支えにしていますね。
心の支えにして信仰するのは全然構いませんけれど、ボクを勧誘したりボクに洗剤を販売したりボクに寄付金を募ったり、ボクに組織票の要請をしたりボクの為に駅前で1分間祈ったりするのはやめて下さいね。

さて、各種宗教で教えの基本となっているのが「他の人の為になるような人間となりなさい、他の人を愛しなさい」といった内容の教え。
そのために自己啓発をして、立派な人間としてみんなに見られるようになろうという考え。
これは素晴らしい。
でも、なかなか難しいもんです。分かっちゃいるけど辞められないことって世の中かなり多い。
ボクも煩悩のカタマリですから、あんな事やこんな事もしたいわけで・・・
どうでもいいですね、はい。

昔の人の最大の目標は、お金持ちになることでもなく、子供をいっぱい作って子孫繁栄を企むことでもなく、酒池肉林におぼれる事でもありません。
極楽に行くこと。これが最大目標。馬鹿にしちゃいけませんよ。藤原道長なんて、「極楽に行けますように」って仏閣にかなりの財産を提供しています。
この来世の為に巨額な財産を投げうるという行為、当時の彼らにしてみれば「普通の事」なんですから。

さて、極楽に行くには悟りを開かなければいけないらしい。
んで、煩悩を捨てるための修行をして、到達した先には極楽への門が開かれるわけです。

ところが現世には非常に誘惑が多い。眠たくもなるし、お腹も減る。若いうちに女の子とイチャイチャもしたい。誘惑は多いけれども極楽には行きたい。その為に「阿弥陀仏様の言うことをその通りやりますので、僕に悟りを開かせて、極楽に導いて下さい」っていう決まり文句が「南無阿弥陀仏」になるわけだ。
ほら、ここで繋がった。

たとえ読み書きが出来ない人であっても「人に言われた事」を忠実に実行さえすれば極楽に行ける!
ならば、念仏をひとまず唱えようじゃないな・・・ということで、日本中に仏教が広がっていったらしいです。
それがいつの間にやら、念仏を唱えれば極楽に行けるとどこかの馬鹿が勘違いして現代にたどり着いちゃってる。
仏教が日本に入ってきた当初は、仏教のちゃんとした教えも残っていただろうに、、、(しくしく)


まだ引っ張ります。
posted by かずま at 16:25| Comment(0) | TrackBack(0) | 考えてみた | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。

この記事へのトラックバック